●お涙頂戴の手紙を読んだら殺す



「結婚式で《お父さん、お母さん、今までありがとう》のようなお涙頂戴の手紙を読んだら殺す」。これは、わたしが生涯でただ一度だけ感心した、母親のことばである。このことばを賜ったとき、わたしはあまりの感動に打ち震えながら、「わざわざ言われなくても読まないから安心しろ」と、血のつながった人間として最も頼もしい返答をしたのだった。一方の父はというと、わたしが同棲するため実家を出ても、はたまた結婚が決まっても、「おう」とだけ返答し、その他には何ひとつ言わなかった。ほんとうにまったく、《何ひとつ》。とはいえ当のわたしは却って、やたら《おめでとう》を言われるのを気味が悪いと感じていたので、必要以上の関心をもたぬこの一連の父の態度について、とても好意的な印象を抱いた。これは決してお世辞などではなく、事実、わたしは結婚式で必ず両親への感謝の手紙を読まない。せっかく両親と似て薄情に生まれたからには、生半可に感謝などするわけにはゆかぬ、わたしたちにとっての《まとも》がこれであるならば、薄情には薄情を以て心からの敬意を表明せねばなるまいと思う。亡き父の懐に入れる手紙を書くように言われたとき、気持ちに余裕のなかったわたしはそこへ、彼が亡くなってからのひどい喧騒のなかでおぼえた、ありとあらゆる人間に対する批判を書き込んだ。父がこれを読んでまた何ひとつ言わないところを想像すると、度重なる弔事の疲れも癒えるような気がしたのだ。納棺のとき、気を利かせた葬儀屋が「お父さんへのお手紙、みなさんの前で読まれます?」と確認をしてくれた。残念ながら、わたしの手紙には《お父さん、お母さん、今までありがとう》が書かれていない。だから「色んな人の悪口が書いてあるので読みません」と言って笑うと、それを聞いた気の良い葬儀屋はエッと目を丸くし、そのあとで少し苦笑した。