●ひかれあう巨像



 サラの家にはおそろしく巨大な像がふたつある。背丈五十メートルにもなる白い観音像が、向かいあうようにしてふたつ。巨像たちはばかでかい碁盤みたいな純白の台座の角へ立ち、その広大な正方形へ斜線を引くように、互いに慈悲の視線を送りあっている。ちっぽけな人間が台座の中央から真上を見上げると、ちょうどふたつの像が天球の大部分を占めるように覆いかぶさる。しかし見つめあう巨像たちの視界にこちらの入り込む余地などなく、ただただふたつの白いひとが、互いの瞳をのぞいているのみ。まるで、その姿を讃えて縋ろうとする人間を無残にも見放し、身体的なスケールの差異で突き放そうとするかのように。
 日本に数ある巨大観音像のうちでも、二体の巨像が同時に存在するのは、唯ここだけであるようだ。埼玉県飯能市山奥の鳥居観音には、三体の像が並ぶ「救世観音」があるが、こちらはもっとも大きな中央の像で二十三メートル。深緑を背景にぼっと浮かび上がる三体の白像は、これだけの背丈でも驚くほど存在感を放つというのに、サラの家にある巨像ときたら。たった一体で山ひとつ支配できる五十メートルにも及ぶ像が、対になっているのだ。この身の小ささを突きつけられるとともに、例のようにちっとも注がれない慈悲の目から、《わたし》がいかに無力でとるに足らない存在であるかを思い知らされる。
 想像力をはたらかせる参拝者へ絶望すら起こさせる型破りな観音像は――日本各地に存在する多数の巨大観音像がそうであるのと同様に――伝統的な仏教とは無関係に誕生した。とある資産家の女性が、とある歌姫へと贈るために建立したのだ。そしてこれもまた、莫大な資産を有する人間が手がけた巨像にとって珍しくない顛末であるのだが、資産家の女性は自ら命を絶ち、そしてふたつの像とその足元にある邸宅は、生前の彼女の意思によって歌姫のものとなった。ちっぽけな人間が持てるには大きすぎる富を築いた長者が、次々と巨像を建立した時代はやがて過ぎ、類まれなる美貌と美声に恵まれた歌姫も、ひとりの老婆となった。決してありふれない人生に翻弄された彼女は今、サラというひとりの孫娘とともに、何事もなかったかのように暮らしている。



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